戦前、極秘に進められていた防諜、謀略、秘密兵器の開発の拠点だった陸軍登戸研究所は、敗戦を迎え「証拠湮滅」の命令が下されて歴史から消えました。しかし、今日、当時の関係者が、そこで何が行われ作られていたかをようやく語り始め、殺人光線、生体実験への道、毒物・爆薬の研究、風船爆弾、生物・化学兵器、ニセ札製造と多岐にわたる研究の実態が明らかになりました。その成果は、陸軍中野学校を通じて果たされたものも多くありました。それぞれに携わった研究員、作業員、風船爆弾の製造の一翼を担わされた当時の女学生たち、陸軍中野学校OB、その他今聞いておかなければ抹消されてしまう歴史を、勇気ある証言者たちがカメラの前に立ち、語った映像を6年以上の歳月をかけて追い続けた渾身のドキュメンタリーがこの「陸軍登戸研究所」です。
プロデューサー・監督・編集:楠山忠之
撮影:新井愁一、長倉徳生、鈴木麻耶、楠山忠之
録音:渡辺蕗子
編集技術:長倉徳生
朗読:石原たみ
聞き手:石原たみ、渡辺蕗子、宮永和子、楠山忠之
ナレーション:楠山忠之 ムックリ演奏:宇佐照代
製作:「陸軍登戸研究所」製作委員会/アジアディスパッチ
(2012年/日本/ドキュメンタリー/デジタルSD/カラー/180分)
©2013「陸軍登戸研究所」製作委員会/アジアディスパッチ
1939年東京生まれ。上智大学文学部卒業後、報知新聞社写真部を経て、69年にフリーとして独立。沖縄復帰およびベトナム戦争最後の「サイゴン解放」を「現場」から報道。国内およびアジアに視点を据えて「写真と文」あるいは映画製作で現地の声を伝えてきた。現在、文化学院講師。
主な著書に「おばあちゃん 泣いてシャッターをきる」(ポプラ社)、「日本のいちばん南にあるぜいたく」(情報センター出版局)、「結局、アメリカの患部ばっかり撮っていた」(三五館)など多数。
記録映画としては『メコンに銃声が消える日』『三里塚−この大地に生きる』『アフガニスタン戦争被害調査』などがある。
第一次世界大戦はそれまでの武力戦だけという戦争のかたちを変えた。空中から爆撃できる飛行機。塹壕を突破し構築物を破壊して突き進む戦車。押し寄せる敵兵を瞬時に多数殺傷できる機関銃。さらに生物化学兵器の禁断の扉を開けた毒ガス兵器の使用。こうした新兵器の登場により、非戦闘員も巻き込む無差別大量殺りく時代となったのだ。
1919年、大戦終結直後、日本は遅れまいと直ちに毒ガス兵器の研究を開始。東京新宿戸山ヶ原に陸軍科学研究所を発足。8年後には「秘密戦資材研究室」を置き、諜報、防諜、謀略、宣伝的行為および措置に対応できる資材・兵器の発案に励んだ。1937年にはこれを担当する陸軍参謀本部第二部第八課が生まれ、初代課長に影佐禎昭が任命された。
この年の7月、中国では北京郊外の盧溝橋で発砲事件″が起き、これを機に日本軍は戦線を広げ12月13日には南京を攻略し占領。時同じくして神奈川県川崎市生田の丘陵地に陸軍の「実験場」が設立された。電波兵器の開発が目的だった。中国侵攻から太平洋戦争に突入した戦乱は拡大へ。資源なきニッポンに勝利をもたらすには独自の知恵と戦術が求められた。この「実験場」は、正式名称が隠され「登戸研究所」と呼ばれるようになる。やがて次々に研究棟を増やし所員も一千名に及んだ。
殺人光線、毒物や爆薬の開発、渡洋爆撃の代案としての風船爆弾、中野学校(スパイ養成所)と手を組んでのニセ札製造など、多種多様な秘密兵器、謀略兵器が発案された。実験中の所員の事故死。中国に出張しての生体実験による「殺りく」。−「登研」は戦場から遠く離れながら、その歴史に血の汚点を残した。
国体護持、秘密厳守。研究所内外での言動は憲兵の監視下にあったが、将校以外は平服でサラリーマン生活と変わらなかった。加えて篠田鐐所長の指示により、勉学や専門技術の修得がそれぞれに時間を与えられ、戦後はその蓄積で専門職に就いた者は多い。
近隣の貧しい農村の人々にとって「登研」は憧れだった。就職できれば現金が入るからだ。中には徴用逃れのため入所した者もいた。一方、「登研」の傘下には多くの下請けが置かれブローカー的側面もあった。大学も命じられた国策研究を拒めば、一切の研究費も資材も与えられなかった。「自由で楽しかった」と懐かしむ所員は多いが、水面下では右向け右、の時代の風はここにも吹いていた。
ドキュメンタリー映画とは言え、あらかじめシナリオめいた予想図はもってスタートを 切るのだが、本作はスタート時点から地図のない森に迷いこんだような、アテのない旅となった。
何しろ秘密戦、謀略戦の資材や兵器づくりの基地である。当時、入所者は「国体護持」と「秘密厳守」だけは徹底させられ、違反しないかどうかは憲兵が監視していたと言う。守らなければ即銃殺だ。しかも敗戦の日、証拠隠滅命令が下され、焼けるものは焼き尽くし、壊せるものは破壊し、出来ないものは湖や海に沈めたらしい。加えて特殊技術をもった三科の所員などは米軍に言い寄られて情報ごと身をもって米軍基地内に消えた。帰国後は貝になってしまった。当事者の証言がなければ「登戸研究所」の闇に光は当てられない。ここでは人と人の関係が「秘密厳守」のために切れていた。
だが、「登研会」というOB会があることを知り、その会合に参加させてもらったことから路はひらけてきた。驚いたことに参加者のOBは「登研」の全貌を知らない人たちが多かった。
2006年、例年のように日本映画学校では一年生に「人間研究」の授業を課した。社会を知らない新入生(中には社会人から転入してくる若者もいるが)にテーマを与え、ナマの人間と向き合って調査・取材(インタビューと写真撮影)してルポを仕上げ、学内発表する。私は講師のひとりとして「陸軍登戸研究所」はどうかと提案、学生の賛成を得て取材にかかった。発表の成果は好評だった。
「記録映画が残されていないのなら作ったらどうか」と無責任な講師発言に乗ってしまい、その気になってしまったのが始まりだった。映画チームに参加者を募ると三人の一年生が手を挙げた。新井愁一、石原たみ、鈴木摩耶である。翌年入学して来た渡辺蕗子が参加。(その他、単発的に手伝う学生は数名いた)。彼らが卒業するまでには完成させなくてはと思ったが、そんな生易しいテーマでなかったことは前述のとおり。運良くボランティアの後任を引受けてくれたのが友人の長倉徳生だった。
シナリオがなかったと書いたが、二科などで活躍してきた故・伴繁雄氏の自伝的告発書『陸軍登戸研究所の真実』や斎藤充功著『謀略戦−陸軍登戸研究所』がバイブルだった。そして何よりも伴繁雄氏の後妻に入った和子さんと、明治大学非常勤講師の渡辺賢二氏がが「語り継ぐ」この映画製作に大きな力添えを与えてくれた。こと和子さんは、夫の過去の所行に苦悩する姿を日々見つめてゆくうち、妻として、女として、「登研」の汚れた歴史を正視するに至り、戦争を動かしたモンスターを夫の中にも見つける。その心理のプロセスが撮れたことは、私たちが求めていた人間のドラマを引き寄せられたと思う。
「もう十年早かったら」とか「ギリギリだったね」とまわりから言われてきたが、取材、撮影後に亡くなられた方は完成までに6人。高齢で会話がなりたたなくなった方々もいる。戦争の実体験者が生存しているうちにまだやっておかなければならない仕事はあるが、加害、被害の実態に止まらず、戦争は誰が動かし、何のために続けるのかを闇から引きづり出さなければ意義は薄い。この8月、シリアの内戦取材中に射殺されたジャーナリスト山本美香さんの状況からも、犯人の後ろで笑っているモンスターがいることを忘れてはなるまい。
話はもどるが、モザイク状に撮っていった40人近い証言者の映像をつなげる「登研」の実体験者が現れたのは二年前。生田の近隣に住んでいて「登研」に就職したのが18歳だったという太田圓次氏。伴繁雄氏の下で雑務を受けもったが、伴氏は上下差別のない優しい人だったと語る。その伴氏が南京や上海で人体実験を好んでやったという事実。誰もが「洗脳」を受けると「人殺し」も抵抗なくなるのか−。
太田氏の千葉・一宮における風船爆弾放球試験は真冬の海岸でのこと。その後に肺浸潤の病にかかったのも「戦争のせい」だ。その点では、風船爆弾の気球紙づくりに動員された全国の少女たちも同様に“奴隷扱い”を受けた(東京はゆるかった)。こうした姿をカメラで追ううち、後ろでいい思いをしている化物たちが見えて来た。“原発ムラ”に似て、天皇を守ることで彼らは戦場でさえうまい飯と酒と女に溺れていた。彼らにとって戦争は長びいてほしかったとしか思えない。ラストの和田一夫の言葉である「沖縄と同じことが本土でも起こり得た」は衝撃的だ。
ところで太田圓次氏が見た夢の中の兵器とはどんなものだったのか、聞き忘れた。願わくば「戦争を忘れる花火弾」とか「笑い弾」だったらいいのだが。
東 京 | ユーロスペース(「ひとりひとりの戦場 最後の零戦パイロット」公開記念上映) | 8月8日(土)〜14日(金) |
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